8月27日は『男はつらいよ』の日ジェラートの日&毎月27日は仏壇の日、交番の日、ツナの日等の記念日です。
●『男はつらいよ』の日
1969年のこの日、山田洋次監督・渥美清主演の映画『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開された。
「フーテンの寅」が最初に登場したのはテレビドラマで、この時は最終回で寅さんは死亡した。しかし、あまりの反響の大きさのため映画で復活し、以来48作にも及ぶ世界最長の長編シリーズとなった。
●「ジェラートの日」
日本ジェラート協会が制定。ジェラートの魅力を伝え、より多くの人にその美味しさを感じてもらうことが目的。日付は世界中を魅了した映画「ローマの休日」がアメリカで公開された1953年8月27日にちなんで。映画の中でオードリー・ヘプバーン演じるアン王女がスペイン階段でジェラートを頬張るシーンは、ジェラートを世界中の人々に知らしめ、ローマを訪れる観光客の憧れのデザートとなった。
※益軒忌
儒学者・貝原益軒の1714(正徳4)年の忌日。
★貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年12月17日(寛永7年11月14日) - 1714年10月5日(正徳4年8月27日))は、江戸時代の本草学者、儒学者。
生涯・人物
筑前国(現在の福岡県)福岡藩士、黒田藩の祐筆であった貝原寛斎の五男として生まれる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。
1648年(慶安元年)、18歳で福岡藩に仕えたが、1650年(慶安3年)、2代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送ることとなる。1656年(明暦2年)27歳、3代藩主・光之に許され、藩医として帰藩。
翌年、藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵、山崎闇斎、松永尺五、向井元升、黒川道祐らと交友を深める。
また、同藩の宮崎安貞が来訪した。7年間の留学の後、1664年35歳の時、帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。藩命により『黒田家譜』を編纂。また、藩内をくまなく歩き回り『筑前国続風土記』を編纂する。
幼少のころに虚弱であったことから、読書家となり博識となった。ただし書物だけにとらわれず自分の足で歩き目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な面を持つ。また世に益することを旨とし、著書の多くは平易な文体でより多くの人に判るように書かれている。
70歳で役を退き著述業に専念。著書は生涯に60部270余巻に及ぶ。主な著書に『大和本草』、『菜譜』、『花譜』といった本草書。教育書の『養生訓』、『大和俗訓』、『和俗童子訓』、『五常訓』。紀行文には『和州巡覧記』がある。
『大和俗訓』の序に「高きに登るには必ず麓よりし、遠きにゆくには必ず近きよりはじむる理あれば」とみえるように、庶民や女子及び幼児などを対象にした幅広い層向けの教育書を著した。
思想書としては、1712年(正徳2年)の『自娯集』。学問の功は思にありとして、教義・道徳・教育等の意見を著した『慎思録』、朱子学への観念的疑問等を著した『大擬録』などがある。
1714年(正徳4年)に没するに臨み、辞世の漢詩2首と倭歌「越し方は一夜(ひとよ)ばかりの心地して 八十(やそじ)あまりの夢をみしかな」を残している。
1911年(明治44年)6月1日、贈正四位。
☆彡毎月27日
●仏壇の日
仏壇の日(ぶつだんのひ)は、全日本宗教用具協同組合が制定した仏壇の記念日で、毎月27日。
天武天皇14年3月27日(西暦685年)、天武天皇が「諸國家毎に佛舎(ほとけのみや)を作り、即ち佛像と経とを置きて礼拝供養せよ」との詔を出したとの記述が『日本書紀』にあることにちなむ。この「3月27日」は旧暦であるが、仏壇の日は新暦3月27日とした。後に毎月27日に拡大した。
名古屋仏壇商工協同組合では、毎年3月27日の仏壇の日に大須観音で仏壇供養祭を行っており、古い仏壇を供養・焼却する。
●交番の日
神奈川県では、明治4年11月27日に「県治条例」が制定され、邏卒(らそつ)課が設置されました。邏卒課の規則を定めた邏卒職務規則の中に「交番」という用語が使われていたことから、邏卒課が設置された27日にちなんで、毎月27日を「交番の日」としています。
●ツナの日
語呂合わせ「ツ(2)ナ(7)」から。毎月27日にまぐろ料理店等で実施
●歴史・出来事
663年白村江[はくすきのえ(はくそんこう)]の戦い。百済の遺民およびこれを支援する日本軍と、百済を滅ぼした唐・新羅軍との戦い。日本側が敗北。(新暦10月4日)
1232年(貞永元年8月10日) - 北条泰時が御成敗式目を制定。
1573年織田信長が、妹・お市の方の嫁ぎ先である浅井長政の近江・小谷城を攻撃。長政は妻と娘を逃がした後に自刃。(新暦9月23日) - 小谷城の戦い
1859年将軍後継・攘夷問題で井伊大老らと対立していた水戸藩主・徳川斉昭が永蟄居に。(新暦9月23日)
1868年京都御所で明治天皇の即位の大礼を挙行。(新暦10月12日)
1883年インドネシアのクラカタウ火山が大噴火。約3万7千人の死者を出す。
1928年「パリ不戦条約」(ケロッグ・ブリアン協定)に日本など15か国が調印。
1939年ドイツ・ハインケル社のHe178が世界初のジェット飛行に成功。
1942年台風16号が西日本に被害。死者1158人。
1945年 - 第二次世界大戦・ソ連対日参戦: 敦化事件
1954年日本短波放送(ラジオたんぱ、現 日経ラジオ社)が開局。
1957年東海村の原子力研究所の日本初の原子炉JRR-1が臨界に達する。
1969年映画『男はつらいよ』第一作が公開。
1986年1951年の梅田事件の再審で釧路地裁が無罪判決。
●誕生日
BC551年孔子[こうし] (思想家,教育者,儒教の祖)グレゴリオ暦09/28[BC479年4月18日歿]
1770年 - ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、哲学者(+ 1831年)
1877年 - チャールズ・ロールズ、ロールス・ロイス共同創業者(+ 1910年)
1881年岩波茂雄[いわなみ・しげお] (出版者,岩波書店創業)1946年文化勲章[1946年4月25日歿]
1896年宮澤賢治[みやざわ・けんじ] (詩人,童話作家)戸籍上は08/01。旧暦では07/19[1933年9月21日歿]
1926年山岡久乃[やまおか・ひさの] (女優)[1999年2月15日歿]
1941年江崎勝久[えざき・かつひさ] (経営者,江崎グリコ社長)
1941年藤竜也[ふじ・たつや] (俳優)
1945年マリアンネ・ゼーゲブレヒト (独:女優)Marianne Sägebrecht
1947年田中星児[たなか・せいじ] (歌手)
1957年木村理恵[きむら・りえ] (女優)
1959年渡部絵美[わたなべ・えみ] (タレント,フィギュアスケート[元])
1965年津田寛治[つだ・かんじ] (俳優)
1984年手島優[てじま・ゆう] (タレント)
1992年 - 剛力彩芽、ファッションモデル、女優
●忌日
1714年貝原益軒[かいばら・えきけん] (儒学者『養生訓』) <数え85歳>[1630年11月14日生]
1879年ローランド・ヒル (英:郵便制度創始者) <83歳>Sir Rowland Hill[1795年12月3日生]
1949年上村松園[うえむら・しょうえん] (日本画家,上村松篁の母) <74歳>1948年文化勲章[1875年4月23日生]
1967年 - ブライアン・エプスタイン、ザ・ビートルズのマネージャー(* 1934年)
1996年小林昭二[こばやし・あきじ] (俳優,声優) <65歳>[1930年9月6日生]
2010年アントン・ヘーシンク (蘭:柔道,プロレス) <76歳>Anthonius Geesink[1934年4月6日生]
2012年 - 横森良造、アコーディオン奏者(* 1933年)
☆彡誕生花
薇[ぜんまい] Osumunda花言葉:夢想
浜木綿[はまゆう] Crinum花言葉:どこか遠くへ
鳳仙花[ほうせんか](爪紅[つまべに,つまくれない]) Touch me not花言葉:私に触れないで
ハマユウ(浜木綿)あなたを信じます、汚れがない
ホオズキ(鬼灯)半信半疑、いつわり
ゼンマイ(薇)秘めたる若さ、夢、夢想
ザクロ(柘榴)円熟した優美、子孫の守護
ソリダスター豊富な知識
■8月27日 『男はつらいよ』の日について
1969年8月27日、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」の第1作が公開された。
第1作 1969年8月27日 男はつらいよ マドンナ=光本幸子 ゲスト=志村喬、広川太一郎 ロケ地=京都府、奈良県
当時の入場料は450円。映画の主人公の車寅次郎、通称「フーテンの寅」は、俳優渥美清さんの当たり役となった。後には「国民的映画」とも称される長期シリーズとなり、渥美さんが亡くなる直前に撮影された95年の第48作「寅次郎 紅の花」まで続いた。
寅さんが生まれ育った東京の下町、葛飾柴又には今でも多くのファンが訪れている。同地の「寅さん記念館」は2012年12月にリニューアルオープンし、タコ社長が経営する活版印刷工場など、映画の情景が忠実に再現されている。
☆雑感・一言
私も寅さんの様にある時不意にどこかに旅に出たくなります。寅さんはある意味では幸せだと思います。
このまま電車を乗り継いで、世間と縁を切り、風の吹くまま、気の向くままぶらり旅に出かけられたらいいだろうなと思うときがあります。
※余談
リリーこと浅丘ルリ子が最終回は寅さんを結婚させてあげてはどうでしょうかと監督に進言したが監督は寅さんは永遠に独身のほうがいいということで独身のままで終わっている。
★『男はつらいよ』(おとこはつらいよ)は、渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く)のテレビドラマおよび映画である。テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の葛飾柴又に戻ってきては何かと大騒動を起こす人情喜劇シリーズ。毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも、失恋するか身を引くかして成就しない寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しい風景を背景に描く。主人公の名前から、作品自体も「寅さん」と呼ばれることが多い。
●レギュラー出演
車寅次郎 渥美清
諏訪さくら長山藍子(ドラマ版)→倍賞千恵子
諏訪博(博士)井川比佐志(ドラマ版)→前田吟
車竜造(おいちゃん)森川信(ドラマ版、第1作 - 第8作)→松村達雄(第9作 - 第13作)→下條正巳(第14作 - 第48作)
車つね(おばちゃん)杉山とく子(ドラマ版)→三崎千恵子
諏訪満男中村はやと(第1作 - 第8作、第10作 - 第26作)沖田康浩(第9作のみ)→吉岡秀隆(第27作 - 第48作)
桂梅太郎(社長・タコ社長)太宰久雄
御前様笠智衆(第1作 - 第45作)
源公(源吉)佐藤蛾次郎(第8作を除く)
準レギュラー
川又登津坂匡章(現・秋野太作)(ドラマ版、第1作、第2作、第4作、第5作、第9作、第10作、第33作)寅次郎の舎弟。
坪内冬子(御前様の娘/第1作のマドンナ)光本幸子(第1作、第7作、第46作)
リリー(松岡リリー、松岡清子)浅丘ルリ子(第11作、第15作、第25作、第48作)マドンナ。
坪内散歩東野英治郎(ドラマ版、第2作)
お菊武智豊子(ドラマ版)→ミヤコ蝶々(第2作、第7作)寅次郎の母。
桂あけみ美保純(第33作 - 第39作)タコ社長の娘。
及川泉後藤久美子(第42作 - 第45作、第48作)満男の高校時代のブラスバンド部の後輩で交際相手/マドンナ。及川礼子夏木マリ(第42作 - 第45作、第48作)泉の母。三平北山雅康(第40作 - 第48作)
くるまやの店員。加代鈴木美恵(第46作 - 第48作)くるまやの店員。
●『男はつらいよ』の日
1969年のこの日、山田洋次監督・渥美清主演の映画『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開された。
「フーテンの寅」が最初に登場したのはテレビドラマで、この時は最終回で寅さんは死亡した。しかし、あまりの反響の大きさのため映画で復活し、以来48作にも及ぶ世界最長の長編シリーズとなった。
●「ジェラートの日」
日本ジェラート協会が制定。ジェラートの魅力を伝え、より多くの人にその美味しさを感じてもらうことが目的。日付は世界中を魅了した映画「ローマの休日」がアメリカで公開された1953年8月27日にちなんで。映画の中でオードリー・ヘプバーン演じるアン王女がスペイン階段でジェラートを頬張るシーンは、ジェラートを世界中の人々に知らしめ、ローマを訪れる観光客の憧れのデザートとなった。
※益軒忌
儒学者・貝原益軒の1714(正徳4)年の忌日。
★貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年12月17日(寛永7年11月14日) - 1714年10月5日(正徳4年8月27日))は、江戸時代の本草学者、儒学者。
生涯・人物
筑前国(現在の福岡県)福岡藩士、黒田藩の祐筆であった貝原寛斎の五男として生まれる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。
1648年(慶安元年)、18歳で福岡藩に仕えたが、1650年(慶安3年)、2代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送ることとなる。1656年(明暦2年)27歳、3代藩主・光之に許され、藩医として帰藩。
翌年、藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵、山崎闇斎、松永尺五、向井元升、黒川道祐らと交友を深める。
また、同藩の宮崎安貞が来訪した。7年間の留学の後、1664年35歳の時、帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。藩命により『黒田家譜』を編纂。また、藩内をくまなく歩き回り『筑前国続風土記』を編纂する。
幼少のころに虚弱であったことから、読書家となり博識となった。ただし書物だけにとらわれず自分の足で歩き目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な面を持つ。また世に益することを旨とし、著書の多くは平易な文体でより多くの人に判るように書かれている。
70歳で役を退き著述業に専念。著書は生涯に60部270余巻に及ぶ。主な著書に『大和本草』、『菜譜』、『花譜』といった本草書。教育書の『養生訓』、『大和俗訓』、『和俗童子訓』、『五常訓』。紀行文には『和州巡覧記』がある。
『大和俗訓』の序に「高きに登るには必ず麓よりし、遠きにゆくには必ず近きよりはじむる理あれば」とみえるように、庶民や女子及び幼児などを対象にした幅広い層向けの教育書を著した。
思想書としては、1712年(正徳2年)の『自娯集』。学問の功は思にありとして、教義・道徳・教育等の意見を著した『慎思録』、朱子学への観念的疑問等を著した『大擬録』などがある。
1714年(正徳4年)に没するに臨み、辞世の漢詩2首と倭歌「越し方は一夜(ひとよ)ばかりの心地して 八十(やそじ)あまりの夢をみしかな」を残している。
1911年(明治44年)6月1日、贈正四位。
☆彡毎月27日
●仏壇の日
仏壇の日(ぶつだんのひ)は、全日本宗教用具協同組合が制定した仏壇の記念日で、毎月27日。
天武天皇14年3月27日(西暦685年)、天武天皇が「諸國家毎に佛舎(ほとけのみや)を作り、即ち佛像と経とを置きて礼拝供養せよ」との詔を出したとの記述が『日本書紀』にあることにちなむ。この「3月27日」は旧暦であるが、仏壇の日は新暦3月27日とした。後に毎月27日に拡大した。
名古屋仏壇商工協同組合では、毎年3月27日の仏壇の日に大須観音で仏壇供養祭を行っており、古い仏壇を供養・焼却する。
●交番の日
神奈川県では、明治4年11月27日に「県治条例」が制定され、邏卒(らそつ)課が設置されました。邏卒課の規則を定めた邏卒職務規則の中に「交番」という用語が使われていたことから、邏卒課が設置された27日にちなんで、毎月27日を「交番の日」としています。
●ツナの日
語呂合わせ「ツ(2)ナ(7)」から。毎月27日にまぐろ料理店等で実施
●歴史・出来事
663年白村江[はくすきのえ(はくそんこう)]の戦い。百済の遺民およびこれを支援する日本軍と、百済を滅ぼした唐・新羅軍との戦い。日本側が敗北。(新暦10月4日)
1232年(貞永元年8月10日) - 北条泰時が御成敗式目を制定。
1573年織田信長が、妹・お市の方の嫁ぎ先である浅井長政の近江・小谷城を攻撃。長政は妻と娘を逃がした後に自刃。(新暦9月23日) - 小谷城の戦い
1859年将軍後継・攘夷問題で井伊大老らと対立していた水戸藩主・徳川斉昭が永蟄居に。(新暦9月23日)
1868年京都御所で明治天皇の即位の大礼を挙行。(新暦10月12日)
1883年インドネシアのクラカタウ火山が大噴火。約3万7千人の死者を出す。
1928年「パリ不戦条約」(ケロッグ・ブリアン協定)に日本など15か国が調印。
1939年ドイツ・ハインケル社のHe178が世界初のジェット飛行に成功。
1942年台風16号が西日本に被害。死者1158人。
1945年 - 第二次世界大戦・ソ連対日参戦: 敦化事件
1954年日本短波放送(ラジオたんぱ、現 日経ラジオ社)が開局。
1957年東海村の原子力研究所の日本初の原子炉JRR-1が臨界に達する。
1969年映画『男はつらいよ』第一作が公開。
1986年1951年の梅田事件の再審で釧路地裁が無罪判決。
●誕生日
BC551年孔子[こうし] (思想家,教育者,儒教の祖)グレゴリオ暦09/28[BC479年4月18日歿]
1770年 - ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、哲学者(+ 1831年)
1877年 - チャールズ・ロールズ、ロールス・ロイス共同創業者(+ 1910年)
1881年岩波茂雄[いわなみ・しげお] (出版者,岩波書店創業)1946年文化勲章[1946年4月25日歿]
1896年宮澤賢治[みやざわ・けんじ] (詩人,童話作家)戸籍上は08/01。旧暦では07/19[1933年9月21日歿]
1926年山岡久乃[やまおか・ひさの] (女優)[1999年2月15日歿]
1941年江崎勝久[えざき・かつひさ] (経営者,江崎グリコ社長)
1941年藤竜也[ふじ・たつや] (俳優)
1945年マリアンネ・ゼーゲブレヒト (独:女優)Marianne Sägebrecht
1947年田中星児[たなか・せいじ] (歌手)
1957年木村理恵[きむら・りえ] (女優)
1959年渡部絵美[わたなべ・えみ] (タレント,フィギュアスケート[元])
1965年津田寛治[つだ・かんじ] (俳優)
1984年手島優[てじま・ゆう] (タレント)
1992年 - 剛力彩芽、ファッションモデル、女優
●忌日
1714年貝原益軒[かいばら・えきけん] (儒学者『養生訓』) <数え85歳>[1630年11月14日生]
1879年ローランド・ヒル (英:郵便制度創始者) <83歳>Sir Rowland Hill[1795年12月3日生]
1949年上村松園[うえむら・しょうえん] (日本画家,上村松篁の母) <74歳>1948年文化勲章[1875年4月23日生]
1967年 - ブライアン・エプスタイン、ザ・ビートルズのマネージャー(* 1934年)
1996年小林昭二[こばやし・あきじ] (俳優,声優) <65歳>[1930年9月6日生]
2010年アントン・ヘーシンク (蘭:柔道,プロレス) <76歳>Anthonius Geesink[1934年4月6日生]
2012年 - 横森良造、アコーディオン奏者(* 1933年)
☆彡誕生花
薇[ぜんまい] Osumunda花言葉:夢想
浜木綿[はまゆう] Crinum花言葉:どこか遠くへ
鳳仙花[ほうせんか](爪紅[つまべに,つまくれない]) Touch me not花言葉:私に触れないで
ハマユウ(浜木綿)あなたを信じます、汚れがない
ホオズキ(鬼灯)半信半疑、いつわり
ゼンマイ(薇)秘めたる若さ、夢、夢想
ザクロ(柘榴)円熟した優美、子孫の守護
ソリダスター豊富な知識
■8月27日 『男はつらいよ』の日について
1969年8月27日、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」の第1作が公開された。
第1作 1969年8月27日 男はつらいよ マドンナ=光本幸子 ゲスト=志村喬、広川太一郎 ロケ地=京都府、奈良県
当時の入場料は450円。映画の主人公の車寅次郎、通称「フーテンの寅」は、俳優渥美清さんの当たり役となった。後には「国民的映画」とも称される長期シリーズとなり、渥美さんが亡くなる直前に撮影された95年の第48作「寅次郎 紅の花」まで続いた。
寅さんが生まれ育った東京の下町、葛飾柴又には今でも多くのファンが訪れている。同地の「寅さん記念館」は2012年12月にリニューアルオープンし、タコ社長が経営する活版印刷工場など、映画の情景が忠実に再現されている。
☆雑感・一言
私も寅さんの様にある時不意にどこかに旅に出たくなります。寅さんはある意味では幸せだと思います。
このまま電車を乗り継いで、世間と縁を切り、風の吹くまま、気の向くままぶらり旅に出かけられたらいいだろうなと思うときがあります。
※余談
リリーこと浅丘ルリ子が最終回は寅さんを結婚させてあげてはどうでしょうかと監督に進言したが監督は寅さんは永遠に独身のほうがいいということで独身のままで終わっている。
★『男はつらいよ』(おとこはつらいよ)は、渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く)のテレビドラマおよび映画である。テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の葛飾柴又に戻ってきては何かと大騒動を起こす人情喜劇シリーズ。毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも、失恋するか身を引くかして成就しない寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しい風景を背景に描く。主人公の名前から、作品自体も「寅さん」と呼ばれることが多い。
●レギュラー出演
車寅次郎 渥美清
諏訪さくら長山藍子(ドラマ版)→倍賞千恵子
諏訪博(博士)井川比佐志(ドラマ版)→前田吟
車竜造(おいちゃん)森川信(ドラマ版、第1作 - 第8作)→松村達雄(第9作 - 第13作)→下條正巳(第14作 - 第48作)
車つね(おばちゃん)杉山とく子(ドラマ版)→三崎千恵子
諏訪満男中村はやと(第1作 - 第8作、第10作 - 第26作)沖田康浩(第9作のみ)→吉岡秀隆(第27作 - 第48作)
桂梅太郎(社長・タコ社長)太宰久雄
御前様笠智衆(第1作 - 第45作)
源公(源吉)佐藤蛾次郎(第8作を除く)
準レギュラー
川又登津坂匡章(現・秋野太作)(ドラマ版、第1作、第2作、第4作、第5作、第9作、第10作、第33作)寅次郎の舎弟。
坪内冬子(御前様の娘/第1作のマドンナ)光本幸子(第1作、第7作、第46作)
リリー(松岡リリー、松岡清子)浅丘ルリ子(第11作、第15作、第25作、第48作)マドンナ。
坪内散歩東野英治郎(ドラマ版、第2作)
お菊武智豊子(ドラマ版)→ミヤコ蝶々(第2作、第7作)寅次郎の母。
桂あけみ美保純(第33作 - 第39作)タコ社長の娘。
及川泉後藤久美子(第42作 - 第45作、第48作)満男の高校時代のブラスバンド部の後輩で交際相手/マドンナ。及川礼子夏木マリ(第42作 - 第45作、第48作)泉の母。三平北山雅康(第40作 - 第48作)
くるまやの店員。加代鈴木美恵(第46作 - 第48作)くるまやの店員。
男はつらいよの歴代マドンナ一覧表
作数
|
公開時期
|
タイトル
|
マドンナ
|
1
|
1969年8月
|
男はつらいよ
|
光本幸子
|
2
|
1969年11月
|
続・男はつらいよ
|
佐藤オリエ
|
3
|
1970年1月
|
男はつらいよ フーテンの寅
|
新珠三千代
|
4
|
1970年2月
|
新・男はつらいよ
|
栗原小巻
|
5
|
1970年8月
|
男はつらいよ 望郷篇
|
長山藍子
|
6
|
1971年1月
|
男はつらいよ 純情篇
|
若尾文子
|
7
|
1971年4月
|
男はつらいよ 奮闘篇
|
榊原るみ
|
8
|
1971年12月
|
男はつらいよ 寅次郎恋歌
|
池内淳子
|
9
|
1972年8月
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男はつらいよ 柴又慕情
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吉永小百合
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10
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1972年12月
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男はつらいよ 寅次郎夢枕
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八千草薫
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11
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1973年8月
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男はつらいよ 寅次郎忘れな草
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浅丘ルリ子
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12
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1973年12月
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男はつらいよ 私の寅さん
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岸惠子
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13
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1974年8月
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男はつらいよ 寅次郎恋やつれ
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吉永小百合
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14
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1974年12月
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男はつらいよ 寅次郎子守唄
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十朱幸代
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15
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1975年8月
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男はつらいよ 寅次郎相合い傘
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浅丘ルリ子
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16
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1975年12月
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男はつらいよ 葛飾立志篇
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樫山文枝
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17
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1976年7月
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男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け
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太地喜和子
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18
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1976年12月
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男はつらいよ 寅次郎純情詩集
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京マチ子
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19
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1977年8月
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男はつらいよ 寅次郎と殿様
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真野響子
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20
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1977年12月
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男はつらいよ 寅次郎頑張れ!
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藤村志保
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21
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1978年8月
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男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく
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木の実ナナ
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22
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1978年12月
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男はつらいよ 噂の寅次郎
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大原麗子
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23
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1979年8月
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男はつらいよ 翔んでる寅次郎
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桃井かおり
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24
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1979年12月
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男はつらいよ 寅次郎春の夢
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香川京子
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25
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1980年8月
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男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花
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浅丘ルリ子
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26
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1980年12月
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男はつらいよ 寅次郎かもめ歌
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伊藤蘭
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27
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1981年8月
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男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎
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松坂慶子
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28
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1981年12月
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男はつらいよ 寅次郎紙風船
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音無美紀子
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29
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1982年8月
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男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋
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いしだあゆみ
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30
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1982年12月
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男はつらいよ 花も嵐も寅次郎
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田中裕子
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31
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1983年8月
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男はつらいよ 旅と女と寅次郎
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都はるみ
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32
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1983年12月
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男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎
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竹下景子
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33
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1984年8月
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男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎
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中原理恵
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34
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1984年12月
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男はつらいよ 寅次郎真実一路
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大原麗子
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35
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1985年8月
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男はつらいよ 寅次郎恋愛塾
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樋口可南子
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36
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1985年12月
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男はつらいよ 柴又より愛をこめて
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栗原小巻
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37
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1986年12月
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男はつらいよ 幸福の青い鳥
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志穂美悦子
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38
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1987年8月
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男はつらいよ 知床慕情
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竹下景子
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39
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1987年12月
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男はつらいよ 寅次郎物語
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秋吉久美子
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40
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1988年12月
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男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日
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三田佳子
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41
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1989年8月
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男はつらいよ 寅次郎心の旅路
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竹下景子
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42
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1989年12月
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男はつらいよ ぼくの伯父さん
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後藤久美子
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43
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1990年12月
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男はつらいよ 寅次郎の休日
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夏木マリ
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44
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1991年12月
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男はつらいよ 寅次郎の告白
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吉田日出子
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45
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1992年12月
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男はつらいよ 寅次郎の青春
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風吹ジュン
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46
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1993年12月
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男はつらいよ 寅次郎の縁談
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松坂慶子
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47
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1994年12月
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男はつらいよ 拝啓車寅次郎様
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かたせ梨乃
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48
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1995年12月
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男はつらいよ 寅次郎紅の花
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浅丘ルリ子
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特別編
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1997年12月
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男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇
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浅丘ルリ子
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